親を看取り、送る事。
こんにちは
振り返るとずいぶんと日が経ってしまいました。
みなさま、変わらずお元気でしたか?
さて、表題の通り
先日、1月18日に、実父を看送りました。
まもなく1ヶ月が経ちます。
昨年11月17日の緊急入院から、12月28日の緩和ケア病院への転院、そして、看送り。
入院からちょうど3ヶ月ほどにパタパタと事態が変わりました。
全く問題なく、入院の前夜も普通に好きな食事を摂っていたくらいで、高齢者アルアルな暮らしが、父自身も突然の入院で帰宅できず、状況が一変。
その後在宅介護の準備中での他界で帰宅させてあげる事が叶いませんでしたが、それでも最期はとても家族で濃い時間を過ごす事ができました。
父の旅立った日の、病院からの朝焼け。
潮が引くように…とは、この事なんだ…と思いました。
今は、80歳近い高齢の母が健在ですが、さすがに1人では各種対応が難しく、役所の手続きなど付き添いをして過ごしています。
85年間生きた父の背中から、沢山の学びがありました。
私が長女である事もあり、男子のない家族なので長男代わりでもある自分を感じています。
即入院となった医療機関では、コロナ禍により、クラスターを避ける為の規制により、入院中は一般病院ではコロナ患者でなくても、お見舞い禁止。
そう言った制限により、当日軽い気持ちで受診したまま入院になってしまった父とは、家族は誰1人臨終まで会えない状況になりました。
新型コロナの騒動が無ければ、問題無かったはずなのに…
そう言った環境から、最後の3週間だけでも緩和ケア病院への転院が出来たことが、とても良かったと思います。
緩和ケアの病院では、本当に穏やかにゆっくり最期の時を待つ事ができました。
一般病院での母と父の時間がないまま…、という事態を回避することが、最後にできる父への孝行と思い動きました。
緩和ケアでお世話になった病院では、退院で病院を出る前には、丁寧な湯灌と少しのメイクを施して下さいました。
湯灌には家族も手を添える時間をくださり、私たちも父の身支度の手伝いの機会をもらえてありがたい時間でした。
入院中、緩和ケア病院は差し入れ自由。
食が細くなり食事を残しても、好きなフルーツゼリーだけは置いて行ってくださったり。
亡くなる4日前までの自力嚥下可能な間は、ノニジュースは飲んでおり、家族の付き添いのない時間は看護師さんからも飲ませてもらえました。
また、飲用CBDオイルであったり、付き添いでの手足のマッサージにもCBDボディオイルやクリームを使用しました。
言葉が出なくなっても、最後まで瞬きや首振りで意思表示でき、マッサージするととても気持ちいい表情に顔が変化していました。
こうした家族で過ごす時間を体験し、積極的治療をするのではなく、極力自然に任せる緩和ケアを選択して良かったと、改めて思います。
さまざまな考え方が有るとは思いますが、家族一致の願いが叶い、我が家としては良かったです。
ほぼ睡眠出来ずの日々が続き葬儀を終え、今は3週目となりますが、母のサポートと自分の仕事もあるので、今頃疲れを感じています。
なかなか、こうして発信する文章をまとめるところに戻れずに居ました。
色々とシェアしたい事もありますので、また、少しずつお伝え出来ればと思います。
これからも宜しくお願いします。
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